記録

布団と過眠症と私

211008 記録

・どつぼ感

先日連絡をもらった「次の段階」を終えた。感触は非常に悪い。

研究上で自分が難しいと思っている部分に対して指摘が来ると、相手の指摘からひたすら保身する状態になってしまい、苦しい。

保身ではなく、前向きな話をしたかった。なんであんな話しちゃったんだろう。勉強不足と自信不足ですね。次に生かしたいです。

 

 

・捨て台詞か冷静なコメントか

私のことを「OK」か「NO」かで判断される日々が続く中、この区別が難しい。

今は「捨て台詞」でもいいから、思ったことを書くのを許してほしい。

 

自分でも把握できないほどの本心の深くから魅力を感じている組織がある。その組織と話す数日前から何を話そうどんな話をしようとワクワクしていた。ドキドキして、たくさん準備をした。

話した結果、その相手からは、即OKではなく少し保留、という返事を頂いた。

返事を頂く前から、話ができたことだけでも嬉しかったから、少しでも希望がある返事を貰えただけで舞い上がるほどの嬉しさ。また、会う機会を貰えるかもしれないなんて!次は何の話をしよう!

研究に対する鋭い質問も、全部嬉しかった。苦しさなんてなかった。楽しかった。漠然と考えていた澱のようなアイディアを引き出すような、私の深い考え方を引き出すような問いだと感じたから。

 

転じて、今日の上手くいかなかった相手との会話は、ずっと噛み合わなかった。いろいろ質問をされたけれど、その質問を通じて本当に聞きたかったことは何なのか、あまりよく分からなかった。

本当は、分からないなりに読み取って返事をしろよ、ということなのだと思う。

自分のアピールしたいところを明確にして、無理やりでも関連付けて話せよ、ということなのだと思う。

それができないのは自分の不器用さゆえだ。そこは認める。

 

今日話した相手は、私の人柄を重視してくれるし、相手の人柄も良いと感じていた。しかしながら、研究に対する考え方として根本的に噛み合わないものがあったのかもしれない。

 

今の研究の展開がどうなるのか、研究として将来性があるのか、という話も大事だけれど、私はもっと未来の話をしたい。なぜならお互いの未来を選ぶ場所だから。

具体例を通じて考え方を見たいのだろう。そこに関しては同意する。だけど、そう問い詰められても困る。せめて私の考え、いま直面しているリアルな混乱を拾ってほしかった。今勉強中で、まだ分かっていないのだということを言わせてほしかった。わがままだろうか。アカデミアの研究なんて、展開があらかじめ全て分かっていたら意味がない、と思うのは私だけだろうか。

 

もっと大きい規模の話をしてほしい、妄想を広げることを許してほしい、妄想がまだ未熟である部分は、これから明確になると信じてほしい。縛られずにあれこれ妄想が広げられることこそが、研究者の赤ちゃんである私の魅力ではないのか。

 

それじゃ、ダメなのだろうか。

 

 

・研究のパッケージ化について

職探しをしていると感じることがある。

研究という作業をパッケージ化して考える組織と、そうではない組織があるということ。博士号はそのパッケージの実践を保証するものだと考えている組織と、そうではない組織があるということ。

 

私は、研究なんかパッケージ化されてたまるか、と思う。それはただの労働であり、私が追求したい知的労働ではない。この先技術が進んで、人間としての創意工夫・オリジナリティが追求されるようになったら、いよいよパッケージ化できない部分にフォーカスが当たると考える。だから私は、パッケージ化された研究に対して根本的な抵抗感がある。

Aが分かったらA'を明らかにし、A'が分かったらA''を明らかにする……言いたいことは分かるし、根本的には科学はそういうことの積み重ねだけれど、果たしてそれだけをやっていていいのか?

その作業をやりながら、いろいろな派生を思いつき、実践してはいけないのか?

単に私が一つのパッケージを完遂できていない歯がゆさからくる葛藤でもありますが。負け犬の遠吠えと言われればそこまでかもしれませんが。

 

この葛藤を乗り越えるためには、パッケージを完成させなければならない。苦しいけれど、それしか道はないのかもしれない。