記録

布団と過眠症と私

210926 記録2

・結局私は何がすごいんだ?

すごい。祈られ案件以来、私はなんだかこんなことばかり考えている。

多かれ少なかれ転換点になっているのだ。ありがたい。

ちょっと書いてみよう。

 

1.意地張って4年も研究してきた

これはもはや意地なのではないかというのが最近の見解。「研究とは何か」を明らかにしたいという漠然とした気持ちがずっとあったのだが、「研究とは何か」なんて相変わらず分かりません。

ただし、「難しい!複雑すぎ!やめる!」にならず、既存技術・先行研究を深耕して他人にも伝わるようなプロジェクトを立ち上げてきたのは相当偉いと思うのよね。技術の良いところを(ちょっと哲学的に?)分解して考え、世の中ができていないことも分解して考えることで、マッチさせてきた自負はあるんだ。(2につづく)

成果?今出してるところよ……研究室で前例のない、というか世界でも前例のない試みについて論文書くのって超大変なんだから……

ジャニーズトンチキ的な、ニーズとマッチしない超絶新規アイディア!みたいなのも生み出してしまうのは反省点なのですが。目標点は高いほうが、実際に到達できる点も高くなりますからね。うん。

だからこそ「営利企業で利益もイメージしつつ研究を行う」ことが自分に合っているのではないかと考える最近。無限に浮かぶアイディアを、実現可能性や収益性も照らして提案すること。「誰もやったことのないこと」だけを標榜する今までの研究とは違う研究がしたいんだい。

 

2.誰かと同じことが嫌で新しいアイディアを模索してきた

自負していたはずが、アドバイザーには「そんなん博士課程なら誰でもやるやろ」と言われ撃沈した。アドバイザーが工学系出身だったからかもしれないけど。

ただし、「新しいアイディア」の中でも、「うちの研究室としてできること」を追求してきたのは結構すごいんじゃないか?と思う。

うちの技術だからできることと、世の中で未だできていないことのすり合わせ。研究計画書を作る際に、「え、これ、うちじゃないとできないじゃん、すごいじゃん。」と気付いた時の感動が忘れられないのよね。研究への未練が断ち切れない亡霊みたいな発言になってますけど。

今ちょっと自信を無くしてるのは、技術は良かったが標的タンパク質がちょっとニッチでパキッとした結果が出にくく、その結果営利企業の人からはめちゃくちゃ質問されたからです。

 

あ、これ、「本研究は新技術の実装が軸なので、先行研究で有望とされたタンパク質を元にがむしゃらに開発してきた。今後は営利企業である御社の一員として長期的な視野に立ち、GO/NO GO判断や見極めの力をつけたい」とか言えばいいやつですか。っていうか途中まで上手くいってた御社との会話でそんなこと言ってた気がするぞ、自分。

 

……ブログ書いてると、自身と対話ができて良いわね。

 

3.コミュニケーション能力が(かなり)ある

これは正直、どう考えてもある。(ウザ)

後輩いわく「関わる人すべて親にする能力がある」とのこと。自分ができないこと、困っていること、でもやりたいこと、を伝えて、支援を受けるのが得意なのは確かにそう。すっっっっごく支援を受けがち。本当にありがたい。

ただし、主体性をもって進めるべき研究の場面との相性は悪いといえば悪い。自分に「他人の研究の交点」以外の価値がなくなってしまう危険性がある。

だからこそ、主体性を実現したいと思って研究を頑張ってきた側面もある。偉いわね…

 

4.働きながら研究してきた

どこまで評価されるか分からないポイントですね。研究だけしとけ!と言われたら私はもう返す言葉が無くて爆発四散する。

というか国が学費生活費を支援してくれやボケェ。と言わせていただきたい。

ともかく、シャカイジンケイケンというやつを(特殊な職場ながら)経験している。職場の微妙な力関係とか組織の一員としてのふるまい方とか、多少は分かってるような。そして圧倒的に身についたプレゼン能力。相手を気遣いながら話す能力。相手を自分の話に取り込む能力。

そして何より、それを研究と両立してきたのが偉いと思うんですが。ねえ?

 

・もしも先生になったなら

私には研究職以外の進路がある。それは学校の先生になること。

有難いことに研究と並行して職歴も積んできたので、正直なところ最も現実的な進路。嫌でもない。向いていると思うし。

一つだけ嫌なのは、見聞きできる社会が一気に狭まること。それだけかもしれない。

 

さて私は先生になったらどんな教育を実践したいだろう。

「君たちの未来は明るいぞ!」だけ言って褒めそやして育てたくないな。今の自分の挫折も踏まえて。

それぞれに社会の一員として果たすべき役割があり、その中で自己実現をする。社会とかけ離れた自己実現は、あまり長続きしないし、誰も幸せにならない。

社会の一員として必要なスキルを身に着ける機会を意識して作りたい。専門科目でも、部活でも、仮説と検証と考察をさせたい。能動的にそのサイクルを回せるように誘導したい。

いま現在も意識して働いてますが。

 

「私はもう無理だ!将来は君たちに任せた!」とは言いたくない。

私も私なりに未来を切り拓く。価値を模索する。愚直に。

それは曲がりなりにも研究をやってきた者としての意地だ。

 

って、なんで研究やめる前提なんだーい!まだ課程の折り返し地点なのに!