記録

布団と過眠症と私

211019 記録

・結局どこが凄いんだっけ会議

もはや毎日開催。

 

とある集会が終わり、久しぶりに自分と他人を真正面から比べた。

みんな、すごかった。

ラボの基盤をもとに自力で研究を進めている。

自分がちっぽけに思えた。

 

ちなみに他人と比べるべきでないというご意見多数拝見する。私もできればそうしたい。でもそうできない。なぜかというと比較したうえでないとなかなか安心できずストレスがたまる超厄介な性格の持ち主だから。

 

私は、ボスから与えられた漠然としたお題を元に自力で道を拓いてきた。その自信はある。基盤技術はあっても、基盤の方針はない。その中で手探りでやってきた。

でも、もっと人を頼るべきだっただろうか。頼れる人は少なかったけれど。

そして、頼らなかったのは私のせいだろうか。

 

修士課程の過ごし方が良くなかったのだろうか。だから基盤がないまま博士課程になった?そして今苦しんでいる?

確かに修士課程時は研究一直線ではなかった。でもそれも。元を正せばどう研究すべきか分からなかったのが一因だ。先達もなくいきなり投げ出されてしまった。どの努力が何に繋がるのか分からなかった。求められている結果がどんな結果か分からなかった。

 

研究員も助教もいない。教授と多数の院生しかいない。

共同研究者は私の研究者としての成長というよりは科学的面白さのためにアドバイスをくれる。

その中で、ようやくブレない主体性がつかめてきて、いろいろな連携体制を組み立てた矢先だった。

 

無理をしすぎて救急搬送された。

 

人は分かりやすい道筋でしか理解しようとしない。

分かりやすい凄さにしか凄いと言えない。

そんなん、私だってそうだ。

 

今のままでは哀れな感じにしか理解されない。そんなん絶対嫌だ。

必要なことは何か考える。分かりやすく魅力的になるために足りないものは何か精査する。

 

うわべを装うだけの哀れな作業に思えて、今までなら絶対嫌だった。

でも、分かりやすさ以外の中身はもう十分に詰まっていると思うから。分かりやすさを指標にすることで、自分に足りないものを補っていく。

 

 

・いまの自分の環境について

良いと言わなければ私が報われないのである程度は良いと言いたいけれど、それは一人の人間として存在し、結果を論文という成果物に繋げる上で良いという意味である気がしている。

私はこれといった指導を受けずここまできた。それは専門性の問題が大きい。基盤技術を元に新しい領域に挑戦してきたが、その新しい領域というのが結構なかなか曲者で、片手間で取り組めるような領域ではなかった。作法が死ぬほどあってそれ以外が許されないコミュニティ。

 

そのコミュニティに飛び込んだだけでも頑張ったって言ってくれんもんかねえ。

孤立無援でやってきたのだけども。

真剣さが、足りんかねえ。

 

消灯をとうに過ぎ、ようやく眠くなってきたので、このへんで寝よう。