記録

布団と過眠症と私

211005 記録

・不確定な未来について考えること

過去2回ほどのブログは祈られ続出、という状態で書いていたが、その後状況が少し変わってきた。

 

次の段階の案内が来たり、次の段階があるかもと連絡が来たり、新たに募集が開始されたり。「おしまい」ではなかった。でも、「おしまい」を意識できたのは本当に良かった。いいタイミングだった。

 

次の段階の案内をくれた組織は、すごく魅力的な場所だ。自分と考えが合うし、既にいろいろな機会を尽くして対話をしてくれた。あの組織の中に身を置けば、自分がなりたい姿に近付ける確信もある。

しかし、ただ一つ問題がある。少し遠くにあるのだ。今まで住んだことのない土地(そんなん無限にあるが)に移らなくてはならなくなる。

 

別に、遠くに暮らすのは怖くない。

九州の南の端っこの幼稚園に通いながら関東のお受験を経験し、友達ゼロの不慣れな土地で私立小学校に進学、というなかなかな経験をしているので、ちょっとやそっとの立地の違いや文化の違いは何でもない。九州の端っこに比べたら言葉の壁も低いだろう。(いや、九州の端っこだって同じ言語を話しているはずではあるのだが)

 

ただし、不確定な未来を迎え撃つには、慣れない土地には不安がある。

結婚をするのかもしれない。出産をするのかもしれない。自分が病気になるかもしれないし、家族が病気になるのかもしれない。

こんな不確定要素を受け入れて何とかやっていくには、長年過ごしてきてリソース豊富(に見える)な関東圏のほうが安心ではある。

 

でも、だからといって関東圏にこだわって選択肢を減らすことはしたくない。

私の世界は私が中心で回っていて、今は私自身が望む環境に身を置くことが私の幸せに直結している。有難いことにそう考えることのできる状況にある。

 

だから私は、まずは近い未来の自分の幸せに集中する。

近い未来の自分の幸せを叶えるために、期待とご恩を胸に選考を受ける。

 

右も左も分からなかった状態の私にチャンスをくれて、「分かりやすさ」や「評価しやすい項目」ではなく、私自身を見て、問いかけて、たくさんの対話をしてくれた組織。

私はあの組織にこそ私の未来があるのではないか、と、(祈られが続出する前から)なんとなく感じていた。

その直感を信じよう。

 

 

・地方で育った記憶について

関連して、自分の出自を思い返す。

私は、関東圏で生まれた後、親の仕事の都合で1才で九州に引っ越した。

幼稚園まで九州で過ごし、上述の通り九州に住みながら小学校を受験して、小学校入学と同時に関東圏に戻ってきた。体感としては「引っ越した」という方が近いけれど。

 

もう関東圏で20年ぐらい過ごしているから、客観的には関東の人だろう。

でも私には、九州への想いが絶えずある。ある種の執着かもしれない。

外国語のような方言が聞き取れること、時には自分も訛ること、南でこそ見られる植物や動物の記憶、食べ物の記憶。すべてが大切な自分のパーツだ。

 

でも、私はいま東京で学び働き暮らしている。なんでも揃う街で、地方なんか意識しなくても過ごせる。

このギャップに複雑な想いを抱くことがある。