記録

布団と過眠症と私

200510記録

・過ちを認めることと、自分を否定すること/へりくだることと、自分を貶めること

とどのつまり私は自分が大好きだ。即答できる。もちろん自分に絶望することもあるけど、結局自分が大好きだ。だからこそ、頑固になったり、自己中心的になってしまうことがある。

これまで、過ちを認めることは自分を否定することに繋がると考えている部分が大きかった。それと同じで、へりくだることは自分を貶めることに繋がるとも考えていた。その意地を通した結果、引き返せなくなった物事もあった。

 

さて、とあることで、過ちを認めるべき場面があった。はじめ、「とはいえ私だって完全に間違っていたわけではないですよ、あなたと同じことも考えていましたよ」という論調で返すつもりで文章を考えていたけれど、途中で違和感を感じて、やめた。

多かれ少なかれ私が間違っていたのは確かで、間違いを正してもらわなかったら後で苦しむことになるのも自分だった。大好きな自分が苦しむことになっていた。それはいかん!

そう考えると、間違いを指摘してもらったことへの感謝の方が大きいし、感謝を伝えるためには、過ちを認めないと説得力がない。

そんなわけで自分の中でしっかり反省して振り返ってから、過ちを認め、謝った。私の中には自分のことが盲目的に大好きなモンペ人格も存在するから、そいつを黙らせて。あくまでへりくだって。

しばらくして、返事が来て、「謝らなくてもいい」という一文を読んで、全部がすっきりした。

 

間違っているぞという指摘→指摘に対する謝罪→謝らなくても良いという声掛け

 

客観的に見るとめちゃくちゃ面倒くさいが、この段階を踏まないことには解決しえないしこりがあった。ああ。段階を踏むことができる相手と私で良かった。安心した。そして勉強になった。嬉しい!

 

こういう経験を重ねて少しずつ大人になりながら、あくまで自分のことは大好きで居続けるのが理想だよねという話。