記録

布団と過眠症と私

211015-211022 入院記録

自分の記録のために、ぼちぼち書いていく。

・20211014 木曜日

左の太ももが痛かった。火曜日から少しずつひどくなっていた。

その前の日曜日は結婚式に参列していた。その時履いたヒールが合わなくて、筋肉を痛めたのだと考えた。今日は木曜日で近所の整形外科が休みの日だから、翌日の仕事が終わったら整形外科に行こうと思っていた。

 

木曜日と金曜日は仕事の日。「足が痛いです」と言って仕事を休むのは、20代女性の欠勤理由として間抜けすぎる。原因が結婚式のヒールだったらなおさら。

仕事は通勤が一番しんどかった。太ももが痛いのを我慢して歩いていると、ふくらはぎの筋肉までこわばってきた。いざ出勤するとアドレナリンが出るのか全然平気だった。退勤後、研究室で用事があるので急いで向かう。足痛い。タクシーが全然つかまらないので、我慢して電車で向かう。つかまってたらタクシー絶対使うのに。

 

19時。研究室の用事が終わってからふと脚を見ると、左だけパンパンになっている。右に比べて太い。なんだか筋肉とは違う別の仕組みで異常が起きている気がしてきた。

救急相談に電話したところ、「整形外科がいいんじゃないかな、夜間診療をやっている整形外科を紹介しますね」と言われる。一刻を争う事態ではないらしい。

紹介された整形外科に電話をかけたら、今晩の当直には整形外科は居ないという。他に紹介されたところは大病院だし、なんだか気が引ける。体に鞭打って細胞を継代する。

 

21時。研究室から家に帰る。しんどい。マンションの階段がきつくて、なんでエレベーターない家に住んだんだと思いながら痛くて泣いた。エレベーターない分、家賃が安いんだよね。

 

夜寝る前に母と電話したら、「じいじ(母方の祖父)ががん治療で血栓できた時に似てる。ピルも飲んでるし、もう一回救急相談した方がいい」と言われる。そういえばさっき救急相談した時はピル飲んでる話しなかったな。大ミス。

 

 

・20211015 金曜日(入院まで)

0時。救急相談をしたら、「整形外科を3件紹介しますが、息苦しくなったりしたら無理せず救急車を呼んでください」と言われた。結構焦らなきゃいけない状況みたいだ。

紹介された1つめの病院に電話をかけたら、その症状は血管外科の担当で、うちの当直では診れないと言われる。再度、救急相談の病院案内に電話をかけて血管外科を探してほしいというと、そんな詳しい項目で調べるのは無理、紹介された整形外科全部に電話をかけてと言われる。いや整形外科じゃないんですってば。理不尽すぎ。いや、現場が大変なのも分かっている。けど。

2つめの病院で電話に出てくれたのはかなり丁寧な看護師さんで、左足の脈が感じられるかどうか、チェックする方法を教えてもらう。脈はあった。やはり血管外科にかかるべきでうちでは診れないと言われる。今までの経緯を伝えたら、「昼間ならまだしも夜間は病院が見つかりにくい。救急車を呼んだ方が早く病院を探してくれる」と言われる。すごく的確で優しい人だった。あの看護師さん、名前も顔も分からないけど一生感謝すると思う。

 

1時。救急車が来る。左足がだいぶ腫れているのを見て「すごいなあ」と言われた。すごいか。すごいですか。コロナ感染を恐れてか、「繁華街で飲み歩いたりしましたか」と聞かれた。2年前だったら想像もつかなかったような設問。

ケチったせいで階段のない我が家から担ぎ出される。歩くのはもう無理だった。なぜか皮膚科に搬送されそうになっているので、さっきの看護師さんの話を伝えたら、とある大病院に運ばれることになった。ありがとう看護師さん。

 

ご家族はどこに?と聞かれて場所を伝えると、来てもらうように連絡すると言われた。タクシーで2万円くらいする距離。母も電話口で「始発で向かうのはダメなんですか?」と聞いている。ダメらしく、タクシー確定。申し訳ない。

これ、家族は来れませんと言った方が良かったのではないかという気がしてくる。

 

担ぎ込まれたのは弊学のライバル大学の病院で、少しだけ面白い気持ちになった。ストレッチャーで運ばれて焦る私とは対照的に、お医者さんはダルそうな感じで登場した。「エコノミークラス症候群を疑ってます」と言われて、事態の深刻さに比べてカジュアルな名前であることに複雑な気持ちになった。先生ずっとダルそうだし。

 

CT検査をしたいが、そのためには血液検査と妊娠の検査が必要だという。絶対に妊娠していない気がしたが、世の中に絶対なんかないなと思い直して検査を受ける。やっぱり陰性だった。妊娠検査のためには尿が必要なのに全然出なくて、初めて尿カテーテルをした。体感としては何もないのに出ていく。変な感じだった。

 

CTの機械はGEヘルスケア製。GEライフサイエンスはcytivaになったので、久しぶりに見るGEのロゴ。体が熱くなる謎の注射を打たれる。「息を吸って、、、止めて下さい」を繰り返す機械に合わせて吸ったり止めたりする。

 

2時。母到着。思ったより普段通りのテンション。検査の結果、やはり俗にいうエコノミークラス症候群で、脚にできた血栓が肺にまで飛んでいるという。このまま過ごしていると呼吸が止まって急に意識をなくす可能性があるらしい。深刻な話題でも先生は変わらずダルそうなので、常にダルそうなのはある種の配慮なんじゃないかと思えてくる。

先生はダルそうに、「できれば入院すべきだがうちには1泊5万円の個室しか空きがない」と言ってきた。うわあ、、、、ブルジョワ大学め。(状況が分かって、そう思えるぐらいの元気が出ていた。)

 

その後、関連病院の中でベッドの空きがあるところを見つけてもらい、再度救急車で搬送。また夜間の飲み歩きを聞かれる。ないです。研究しかしてないです。

 

 

・20211015 金曜日(入院から)

転院先の救急エリアに到着。さっきのCTの結果を使う予定だったが、データが上手く開けないらしく撮りなおしに。GEヘルスケアの「息を吸って、、、止めて下さい」、もう慣れた。それよりこの検査、一体幾らするんだ?親のすねをかじる展開の予感しかない。

検査のため、脚の付け根の動脈の血を抜かれた。若いお医者さんは私の動脈を探すのに苦心していた。なんか、すみません。そして普段の採血は静脈血なのも今更知った。確かに赤色が鮮やかではなかったか。

CTの結果が出て、血栓を溶かす点滴が始まった。左脚がパンパンにむくんで皮膚が張って痛かったのが、少し楽になっていく。脚自体はまだ痛いけど。

 

途中、ベテランのお医者さんが仮眠をとりに行った。若い先生に「50分になったら起こして」と言ってから寝たのに、50分になってもだれも起こさない。周囲の配慮なのか、単に忘れているのか。どちらにしても私は起こしに行けないので、ベテラン氏が寝ているらしき方角をただ眺めていた。しばらく経ってから用事で起こされていたから、あれは配慮だったのかな。

 

途中からすごくフレンドリーで明るい看護師さん登場。「アイシャドウかわいい~どこの~?」と聞かれて「KATEです」と答えたけど聞き甲斐のある回答ではなかったのが勝手に申し訳なかった。

お手洗いに行ったところ、なんだか普段と違う感じだった。カテーテルの影響か?(ちなみにこの違和感、1週間続く羽目になる。残尿感が主。)

 

8時前。主治医登場。朝の出勤直後だったのだろうか。簡単に状況と治療の計画を伝えられる。

 

8時。入院の手続きが整い、入院前に勤務先の上司に電話。僅か4分のあいだに搬送されたこと入院すること仕事を代わってほしいことを聞き出した上司はすごいと思う。搬送以来ずっと気にかかっていた仕事の心配はなくなる。本当は夜の間にチャチャッと処置してもらって、朝になったらケロッと出勤するつもりだったのにな。私の見込みが甘かった。

コロナ対策のため、母とは病棟の入口で別れる。看護師さんに「もう大人だけどさ、こういう時ぐらいは頼っていいんだよ」「お母さんも"お母さん"がしたいんだよ」と言われて泣いた。というか書いている今も泣けてきた。

 

入ったのは個室だった。先ほどの5万円に比べたら安いが、じゅうぶん高い。罪悪感が凄い。でも、電話やオンライン会議がしやすいのはありがたいと思った。

母が私の家に荷物を取りに行ってくれたので、研究室に置きっぱなしだったPCをピックアップしてもらうべく後輩に連絡。「実は緊急入院することになって…」という重ための連絡になったが、体感としては左脚が痛い以外大したことないので不思議な気分だった。

 

点滴は重力でポタポタ落ちるやつからポンプで送液されるやつに変わった。点滴+機械繋がれっぱなし生活のスタート。機械は充電式だが、バッテリーは30分ぐらいしかもたないので基本は電源に接続。

 

昼ごろ、肺のあたりの超音波検査とレントゲン。レントゲンは島津製作所製。車いすで院内を移動して、初めて救急と病棟以外の景色を見た。外来の人もいる空間なので、院内着+点滴で車いすの私の「重症っぽさ」が引き立っている。左脚が痛いだけなんだけど。

 

薬剤師の人が来たり色々と人が出入りする日だった。合間に母と電話して、個室で良かったと思った。

 

 

・20211016 土曜日

金曜日の夜から熱が続いていた。血栓の影響らしい。

担当医が部屋に来て、PCR検査をするまでは念のためコロナ疑いの対応をすると告げられた。入室する医師看護師はガウンとフェイスガードと手袋。個室の出入り口にバイオハザードのゴミ箱。主治医より若く丁寧な印象の担当医は、すごく申し訳なさそうにコロナ疑い対応の話をしてくれた。誰も悪くないけど少し納得した自分もいた。

PCR検査は平日にならないとできない。個室閉じ込められ生活の開始である。

 

 

・20211017 日曜日

相変わらず熱がある。寝ている間もしんどくて夜中に一度起きた。

この日はオンライン開催の学会のリハ日だった。リハ日にはポスターを提出することになっていたから、書き足す点はないか見返したり実験データの統計解析をしたりした。だるくて普段ほど頭が回らないのがもどかしい。

 

晩御飯を食べた後、看護師さんに「すみません、19:20から19:50までオンラインで話す用事があって」と伝えたら、「その間部屋に入らないようにしますね」と言われた。

他にもこういう人は居るのだろうか。居ないとしたらなんだかとんでもないワガママ患者に見えてないだろうか。少し心配になった。

 

リハは問題なく終わった。カメラもオフだったが、明日に備え、プロフィール欄に「緊急入院中のためカメラオフで失礼します」と書いておいた。我ながらすごい書き出しだ。

 

夜、頭がかゆくてしんどくなる。入院して以来、体を濡れタオルで拭くことはあっても、お風呂には入っていなかった。普段にも増して髪の毛が抜けて、床がすごいことに。病室に掃除って入るものなのだろうか。

 

 

・20211018 月曜日

オンライン学会が開会。朝から、聞きたかった講演のオンパレード。ずっとPCに張り付いていた。でも頭が回らない。そして病室の時間は私だけの都合で回らないので途切れ途切れになる。口惜しい。

 

朝、PCR検査の検体を取られる。昼過ぎに陰性と出て、色々な制限が取れる。病室の外にも出られるようになる。長かった。

髪の毛のことを相談したら、「洗髪室」というところで洗ってもらえるという。点滴が刺さっているのでシャワーは浴びないでおこうという判断だった。この洗髪室、美容院のような洗う台があって、そこにうつ伏せになる。結構首がつらいが、やたらと長い髪の毛を洗ってもらう申し訳なさもある。

リンスインシャンプーに感謝。普通の生活ではなかなか無い感動。

 

夕方、オンラインでポスター発表。私の都合だけで時間が進まないことを学習しつつあったので、「いま入院中なので途中で急に居なくなるかもしれません、できるだけ話すようにします」というなんとも奇妙な前置きで発表することになった。

質疑応答をたっぷりして、終わるころにはベッドが汗で濡れていた。

 

発表も終わった19時ごろ、担当医がやってくる。ひょっとすると私のオンラインで話している感じを察して普段より遅く来たのかもしれない。申し訳ないがこればかりは出たかったので後悔はなかった。

 

一方で学会自体に対しては、普段の調子ならもっと頑張れたのかもしれない、年に1度の機会なのに、という後悔がべったり張り付いたまま眠りについた。

 

 

・20211019 火曜日

学会2日目。相変わらず朝から講演続きだが、ベッドで聞いているとどうしても眠くなる時間があり、歯がゆい。看護師さんからは「ずっとPCを覗いているやばい人」だと思われていそうな気がする。

 

昼、主治医が来て点滴を終わりにすると宣言していった。嵐のように現れて去っていく先生であることが分かってきた。忙しいのかな。晩御飯の後に、点滴の機械が外された。針は念のためそのままで、流路が詰まらないように生理食塩水を注入された。冷たい。

内服薬はいたって普通の見た目の錠剤で、これまで機械に繋がれていたことを思うとその手軽さに驚いた。だから経口薬ってすごいんだなあ。

 

 

・20211020 水曜日

学会が終わり、何もない水曜日。

 

昼ごろ、今の診療科とは少し違う診療科の先生が登場。スーツに白衣、というドラマとかで見る「大病院の先生」の出で立ちで、雰囲気もあってすごく緊張した。外来で会うかもと言われたが、こんなすごい感じの人に症状を聞かれても、相手が期待する答えしか返せず細かい状態を伝えられないのではと思う。

いろいろな能力が優れていてその風格を身に着けるに至ったのだろうけど、対話という点では学校の先生の方が能力が上かもしれない。そんなことも考えた。

いっぽうで、自分の研究内容を伝えたら的確に理解された。すごいな。

 

 

・20211022

部屋の外で作業をしようと思い、ラウンジのような空間に出てきた。

入院中の患者さんの家族が今後の話し合いをしていて、「面会がしやすいように、個室が空き次第移るようにしましょう」と言っていた。

すみません、いま個室にいるの、もうかなり元気になった私です。明日には出ます。

 

脚の痛みもほとんどなくなって、いよいよどこも悪くない状態に近い。